4月8日(水)塩飽桃加(ピアノ)
バッハ:フランス組曲第5番 / プーランク:主題と変奏 / ラヴェル:クープランの墓より抜粋 / フォーレ:マズルカ op.32
塩飽桃加さんの演奏を最初に聴いたのは、彼女がまだ19歳の頃でした。楽しそうにピアノを弾く姿は純然と音楽を愛する人だと感じて声をかけたことを、今でも覚えています。
「フランス組曲」という呼び名は、バッハ自身が与えた題ではありません。現存する初期資料では、1722年の《アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集》に第1〜5番の初期形が見られるとの事ですが、総称としての「フランス組曲」が定着するのは後の伝承の中です。作品の名とは、作曲家が本質を見極めたものというより、後の時代がその姿に輪郭を与えるものでもあるのかもしれません。
バッハがこの組曲群に向き合っていたのは、1720年代前半、ケーテン時代を中心とする頃でした。1717年にレオポルト侯のもとで宮廷楽長となったバッハは、そこで主として室内楽と管弦楽に携わり、同時に鍵盤作品や教育的な作品群もまとめていきます。レオポルト侯の宮廷は改革派で、ルター派都市のように華やかな教会音楽の定常的実務が中心ではありませんでした。その距離が、かえってバッハを器楽の純粋な構築へ向かわせたのではないかと伝えられています。
第5番ト長調 BWV 816 は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォット、ブーレ、ルール、ジーグから成ります。舞曲の連なりでありながら、それはもはや踊るためだけの音楽ではなく、舞曲という形式の内側に秩序による美感が宿った音楽です。
プーランクの《主題と変奏》は、1951年に書かれた後年のピアノ作品です。そこに聴こえるのは、軽みと陰り、ユーモアと情感を最後まで手放さなかった作曲家の成熟なのだと思います。
ラヴェルの《クープランの墓》は、戦時下を経て1917年に完成され、各曲は戦争で亡くなった友人たちに捧げられました。けれどもこの作品は、悲しみの音楽ではありません。ラヴェル自身の言葉を借りれば、それはクープラン個人というより、18世紀フランス音楽そのものへ向けられた眼差しでもあるのだそうです。追悼とは、嘆きをそのまま音にすることだけではなく、愛した美の形式をなお保つことでもあるのだと思わされます。
最後のフォーレのマズルカ op.32 は、1870年代半ばの初期作品です。ショパンへの敬意を感じさせつつも、単なる模倣にはとどまらない、フォーレらしさがあるように思います。
この夜のプログラムは「フランス」という国名そのものではなく、フランス的な美意識の方だったのかもしれません。バッハはドイツ人でありながら、その組曲にフランス的舞曲の洗練を取り込みました。プーランク、ラヴェル、フォーレはいずれもフランスの作曲家ですが、そこにあるのは国籍よりむしろ、感傷をも知性で包み、深刻さを優雅さで包む態度です。
塩飽さんの拍子感の心地よさ、その自然な推進力の中に、彼女の音楽への純粋な愛着が滲んでいる。音楽におけるフランス性とは何か・・・
その問いへの、一つの美しい答えを聴いた夜でした。
