4月11日(土)
吉井祐理杏(ヴァイオリン)× 伊藤優花(ピアノ)
1部では、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番 Op.30-2 が演奏されました。
ベートーヴェンがこの作品を書いたのは1802年春ごろのことです。作品30として知られる三つのヴァイオリン・ソナタは、この時期に集中的に構想され、完成に向かいました。
同じ年の10月、ベートーヴェンはウィーン郊外のハイリゲンシュタットで、弟カールとヨハンに宛てて、いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」を記しています。進行する難聴による屈辱と孤立、死への誘惑、そしてなお彼をこの世に引き止めた芸術への思いが、そこには切実な言葉で綴られています。
そうした背景を踏まえてこのソナタを聴くと、第1楽章の冒頭に漂う緊張は、単なる形式美だけでは説明しきれないものとして響いてくるかもしれません。ハ短調という調性の陰影、引き締まったリズム、内側から押し出されるような推進力。そのすべてが、沈黙に抗いながら音楽を書き続けたベートーヴェンの精神と、どこかで響き合っているようにも感じられます。
2部は一転して、カーペンターズ、ダイアナ・ロス、ビリー・ジョエル、シカゴといった、アメリカのポップスを中心とするプログラムでした。
1970年代から80年代にかけて広く親しまれたこれらの音楽は、当時リアルタイムで聴いた世代にとっては、個人的な記憶と深く結びついたものだったのではないでしょうか。ラジオ、映画、車の中、家族の時間、あるいは若い頃の街の空気。クラシック音楽とは別の場所で、人の人生に寄り添ってきた音楽です。
ムーン・リヴァーは、ヘンリー・マンシーニ作曲、ジョニー・マーサー作詞による楽曲で、1961年の映画『ティファニーで朝食を』のために書かれました。映画会社の重役がこの曲のカットを考えたとき、主演のオードリー・ヘプバーンが強く反対し、この曲を守ったという逸話も残されています。
ピアソラのリベルタンゴは1974年の作品です。題名はスペイン語の「リベルタード」、すなわち自由と、タンゴを組み合わせた造語です。ピアソラはアルゼンチンの伝統的なタンゴの語法を受け継ぎながら、それを分解し、ジャズやクラシックの要素を取り込み、まったく新しい音楽へと再構築していきました。
その革新性ゆえに、彼は長く反発にもさらされました。保守的なタンゴ愛好家からは「これはタンゴではない」と批判され、一方でクラシックともポピュラーとも単純には分類できない音楽として、既存のジャンルの境界に立ち続けました。しかし今ではリベルタンゴは、クラシックの演奏会でも、ジャズの舞台でも、映画音楽の文脈でも、世界中で演奏される作品となっています。
人々の理解の外に立ち続けた音楽が、最終的には最も広い聴衆に届いた。その皮肉は、なかなか示唆深いものです。
そして最後に、葉加瀬太郎の情熱大陸。日本の多くの聴き手にとって、この曲はテレビ番組のテーマとして記憶に深く刻まれています。記憶やその習慣性が音楽を聴くという事の理解と非常によく結びついています。
ベートーヴェンの内面的な緊張から、アメリカン・ポップスの親密な記憶へ。さらに映画音楽、タンゴ、そして現代日本のテレビ文化に根づいた旋律へ。
この日のプログラムは、音楽のジャンルを横断しながら、それぞれの時代と聴き手の記憶をつないでいくような構成だったと思います。
音楽のジャンルに貴賤はない、という言葉は使い古されたものかもしれません。けれど、実際に一つの演奏会の中でこれほど異なる音楽が並び、それぞれが自然に響き合うのを聴くと、やはりその言葉の意味を改めて感じずにはいられません。
優れた作品は、ジャンルという枠組みを越えて人に届く。
そしてその届き方は、聴き手一人ひとりの記憶の中で、少しずつ違った形をとるのだと思います。
